國松和弘 ~Kazuhiro Kunimatsu~ |
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~フォト帰郷という発想から誕生したOffice SHAGA設立秘話
それは、ライブドア事件に揺れ、ハンカチ王子に沸き、「命」が今年の漢字に決定された2006年、京都のとある喫茶店での何気ない一言からはじまりました。 ―写真やりたいねん― 後にOffice SHAGA を立ち上げる「写我」こと、佐竹祥孝氏と、長きを共に歩む事となる、私、國松和弘との、笑い話半分、冗談半分、、、と思いきや、笑い話でも冗談でもなかった、ハジマリの物語。 二人の出会いは2003年にまで遡りますが、そもそも奇跡とされる地球で、それぞれの時代に、数億分の1の命として生まれ、数十億分の2つの道が交差した事を何と呼ぶのか、それもまた奇跡と呼ぶのか、偶然なのか、ファンタジーに近い言葉にすれば神の悪戯か。 形容する言葉をさて置いたとしても、交わり得ないような道は重なり、二人は出会い、タイミングと縁に導かれるよう翌2004年の暮れ、私は、当時佐竹氏が会長を務めていたプロデュース会社へと身を置かせて頂く事となりました。 主だって携わらせて頂いたのは神仏を作品とされる仏板画家(通常「版画」と書きますが、作家様の想いあって「板」を使っておられました)の作品管理や個展・催事、販売等に関わる業務でしたが、私自身、祖母を生き「仏」と称して話す程度で、神様仏様の概念が薄く、ビジネス知識の為にと、神仏の世界を調べ、学ぶ日々が続きました。 今でもそのスタンスは変わらず、祖母を唯一の生き仏と思っているフシはありますが、それでもやはり、人々が祈り、願い、想いの依り代とする存在、それが種火となって戦争さえ起きる存在、そう考えると畏怖を覚えざるを得ないというのが、私が神仏というものに抱いた感情でした。 「行き場のない心の救いとして存在するが、存在しなければ失われない命もあった」 とりとめもない、だからと言ってどうする事もできない、哲学めいた言葉をぼんやりと頭に浮かべてみては、結びの「どうする事もできない」という部分を自分の落としどころにするだけで、生活にも心境にも恐らくは特に変化のない毎日を過ごしていたように思います。 |
仏板画という特異なジャンルが呼び寄せるのか、多くのご高齢の方とお話する機会にも恵まれました。 おばあちゃん子だった私にとって、ご高齢者との対話は心地よくもあり、眼前の孫ほど離れた青年に対して奢らず、丁寧な言葉で返答される姿に恐縮しながらも、対面するおじいちゃん、おばあちゃんに「ハッピーな余生過ごしや~」などと心声しながら、思いのほか楽しんで仕事をさせて頂いていたように記憶しています。 そんなある日の事です。 今や、残念にも「当たり前」になりつつある、血縁者同士の争い、殺め合い、無差別な殺人、虐待、などと言った凄惨な事件が連日報道されていることについて、悲壮な想いを佐竹氏は綴りました。 約6,500字にわたるその文章は、前述したような報道についての悲しみや憤りに始まり、便利さと半比例するように失われていく心の豊かさ、日追い孤独になりゆく高齢者などに触れ、子供たちと高齢者の方々が共に笑顔で過ごせる社会創造への願いで締められたものでした。 数年間だけの経験ですので、活動と呼ぶにはおこがましい話ですが、私自身、クリスマスにサンタの恰好で、大量のお菓子を詰め込んだ袋を背負って児童施設を回っておりました。 そんな折「親御さんが家に居るにも関わらず、その家には帰せない子供」など、胸の詰まるようなお話を聞かせて頂く機会もあり、同種の憤りを覚えていた為、共感する部分も多く、別の視点で気付かされる事もあり、想いの共有は難しい事ではありませんでした。 では何ができるのか? 私の自答する答えは至ってシンプルでした「ほら、何もできない」 |
まさに、言うは易く行うは難しで、理想が大きくなればなるほど自分の無力さを知り、所詮理想、所詮夢と、多くの人は「同時に諦められる」様にできているのではないでしょうか。 しかしながら佐竹氏は、それでも、やはり、という道を語られたのです。 個々の力での実現は難しくとも、小さな一歩を踏み出す事を、これからの自分たちに理由を与える事を、いつか何かのきっかけで、想いに賛同してくれる人が増え、集まり、大きな力になると信じて。 方法論は幾らでもあったと思います。 やれる事を模索する中で、小さな頃から親しんでこられたカメラという手段に至ったのだと思います。 人に向ける刃を消し去る手段も今はまだ分かりません 身近で目の当たりにした高齢者の孤独を癒す術も、もちろん息子さんやお孫さんに代わる事もできませんが、心のやすらぎの一つとして、故郷を見せてあげるというのはどうだろうか。 実際問題として、孤独のままに施設で過ごし、孤独のままにお亡くなりになる方も多く、そういった方々に、せめて最後を迎えるまでに思い出の景色を見せてあげられたなら、もちろん、それがイコール理想の社会には繋がらないとしても、目には見えない、心の部分で、何かの一助になるかもしれない。 「想い」については、あくまでも受け止めた私の解釈や想像を含みますが、理由を聞くもなく返事をした以上、今更、あの日、どの様な想いでおっしゃったのかなど聞き改める気もありません。 しかし、遠からず、少なからず、そういう事なのだと確信しております。 ―写真やりたいねん― これがOffice SHAGA ハジマリの物語 |
~私たちが見据えるマタニティフォトの可能性
現在、Office SHAGAの各ファミリーフォトスタジオにてご提供しております妊婦写真(マタニティフォト)は、各地より多数のお問い合わせを頂戴し、連日、新しい命を宿した方々が「赤ちゃんと撮るはじめての記念撮影」を楽しんでおられます。 今では数あるフォトスタジオも一様に力を入れている部門であり、妊婦さんがお腹を出すなんて考えられない、という時代から、ファッションのひとつとして受け入れられる時代へと移り変わってきた事を感じさせられます。 弊社におきましても、マタニティフォトという言葉が業界に流れてから、しばらくの間は前者の考えであり、流行りだから、主流だから、という安易な考えでは始めたくない、というのが本音でした。 女性にとって一番デリケートな時期であり、万一何かがあってはいけない、という恐さをはらんでいた事も事実ですが、とにかく、流行ってるみたいだからやってみよう、という考えで始めてはいけない、というのが当時の結論でした。 |
しかし「OfficeSHAGAハジマリの物語」で触れました、児童擁護施設で聞かせて頂いた、何らかの事由で親を失くした子供ではなく「両親ともに健在で、ごく近い場所で生活をしているのにも関わらず、ひとり、施設で暮らさなければいけない児童」の話が度々頭をよぎります。 昨今のニュースで当たり前のように報道されているので、ほとんどの方はお察しの事と思いますが、その児童もまた、両親からひどい虐待を受けた子供だったのです。 もちろん、事細かな内容や事情をお伺いしたわけではありませんでしたが、最後に一言「正月だけでもご家族で過ごさせてあげたいのですが、恐くて帰してあげれない」そう言った先生の表情が、どう例えれば良いか分からない程に寂しげで、胸が痛くなったのを覚えています。 |
私自身も2人の子を持つ父親として、子育ての大変さや、葛藤、悩み、そして苛立ちを、少しは理解できるつもりですが、やはり、人の数だけ苦しみがあり、親の数だけつらい事もあると思います。 しかし、全ての命は必ず、愛されて生まれてきたはずです。 全ての母は、およそ300日もの期間、苦しいことに耐え、精一杯の愛で産声を待ったはずです。 その時の気持ちをいつまでも忘れなければ、感情をぶつけてしまう瞬間を、たった一歩踏みとどめられるかもしれない。 そして、話に聞くような、ニュースに聞くような、悲しい想いをする子供たちの、たったひとりを救うきっかけになれるかもしれない。 「写真」は動画とは違い、自身の記憶や想いを呼び覚ます事に優れ、その写真を見る度、その時とその時期に関する多くの記憶・想いに帰る事ができます。 「人は忘れ行く生き物、記憶は色あせるもの、ならば思い出せればいい、その日に帰せればいい、そのきっかけになればいい」というのが、マタニティフォトに抱いた私たちの可能性であり、マタニティフォトをスタートさせる動機ともなりました。 綺麗事と取られても構いません、こじつけだと言われても構いません、ですが、千分の1でも、万分の1でも、子供たちの笑顔を守れる可能性を信じて取り組んでいきたいと考えております。 |
~士業専門の肖像写真に私たちが託した想い
景気の低迷、増え続ける国の借金、耳を疑うような残忍なニュース、小さな島国を襲う大きな災害、常に不安と隣合わせの私たちはあまりにも無力であり「何か」を変えられるような力を持っておりません。 しかし、写真で変える、写真で変わる、というコンセプトを掲げる私たちが、撮影という手段で、より身近に、直接的に私たちを救い、強いては日本を担うと言っても過言ではない「サムライ」の皆さまの活躍の場を広げ、その「何か」を変える事ができるのではないだろうか? そのような想いから「士PHOTO(サムライフォト)」という、士業の方だけの撮影プランが誕生致しました。 |
ネットショッピングなどで誰もが感じた事があると思いますが「店長の○○です」と顔写真が掲載されているだけで、その店舗に大きな安心を感じ、信頼感を抱いてしまうのはなぜか。 起源は肖像というものが生まれた所まで遡るのでしょうが、例えば中世の肖像画にも見られるように、言葉で語らずともその人が見える肖像に「その人の価値」を、私たちが潜在的に認識しているからに他なりません。 裏を返せば「人」は「人」が見えない事に不安や不信を抱く、という事であり、ご自身が看板とも言える「サムライ」の皆さまにこそ、たった1枚の写真を載せる、という簡単かつ、絶大なブランディングを、気軽に行って頂きたいと思いました。 |
文字文化を伝統としてきた私たちも、インターネットを当たり前とし、携帯端末を手にし、イメージで語る、という世界の主流の真っただ中で、様々なイメージに触れ、潜在的にそれらの価値を認識しています。 写真は、目には見えない「ブランディング」という活動に形を与えます。 サムライの皆さまは一人ひとりがブランドです。 私たちは、日本が誇るサムライというブランドの活躍が必ず日本の未来に繋がると信じ、微力ながらも、この「サムライフォト」で皆様のブランディングのお手伝いをし「何か」を変えていきたいと考えております。 |